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魯山人-愛陶語錄
魯山人器物學 -vol.18

18-1.
途方もない考えがなくては、途方もない結果はない。

只要沒有異想天開的想法
就不會有驚人的結果
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18-2.
芸術家には芸術と不即不離の実生活があるはずである。むしろ、芸術そのものが実生活である。また、その実生活そのものが芸術である。作品はこれが表現されたものに過ぎない。

藝術家的生活應該是跟藝術不即不離
可以說藝術就是藝術家的真實生活
藝術家的真實生活就是藝術
作品不過是將這點表現出來而已
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18-3.
素人で茶碗をこしらえてみたいと軽々しく希望する人がある。これは恐らくその人が平生どんな茶碗を観ても、その茶碗の作家の精神までは観ていないということになる。茶碗に限らず、作品はすべてその人の全人格を正直に表現しているものである。だから、その人が自己の醜は醜として人眼にふれても仕方がないという芸術家魂を持った人でない限りは自己の趣味、自己の精神は茶碗に溶け込んでくるものではない。

曾經有素人提出想試作看看茶碗
我想這個人恐怕就算是看了茶碗
也無法看出茶碗作家的製陶精神
不只是茶碗
所有作品都是完全表現製作者人格
假如此人沒有藝術家魂
擅自將自己的醜處在人前表現
是無法將自己的興趣和精神融入茶碗當中
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18.4
.まあ、なんと言っても自然に親しむことが第一だね。どんな芸術にしてもそうだがどこまでその人が自然を愛しているか、自然を掴んでいるかということが素材をなして行くのだから、写生がまず第一番に大切だね。写生によって自然に対する細心な注意を養って行き、また心に印象を刻んで行くのだ。そうしているうちに省略法を覚えて来て筆を支配する力が出来てくる。実際にはここにもう一つの枝があるけれど、ない方が美しいから取って了うとか、群像を一筆で表現して了うとか、つまり、実物を離れて心術で描くようになって来るんだね。一口にこういうと、容易なことのようだが、なかなかちょっとやそっとの努力ではそこまで行けないのだ。言わば写実劇が歌舞伎劇になって行くようなものだ。舞台の上でバタバタと駈け出したって、ちょっとも美でもなければ、駈けている感じも出ない。けれど、ノッシノッシと六方を踏んで行くと、もう見物は吾を忘れて駈けている気持になってしまう。能狂言に至っては、更に、その美を増すようなもので、絵もそうした境地にまで入って行かなければ嘘だね。しかも、その上に雅味もなくてはいけず……。まあ心がけとして、常に名画や名器に接近して美に浸るということが大切だと思う。

要將親近自然放至首位
無論是什麼藝術
喜愛自然到什麼程度
都會將自然作為創作的素材
因此寫生是最為重要的
寫生能培養細心觀察自然
再將自然的印象刻入心中
這麼一來了解省略法則後順著筆畫出來
例如說實際上這裡還有一個枝葉
但是不畫的話會比較好看就省略了
或者像是以一筆來表現群像
也就是說抽離實物以心術來描繪
這麼說好像很容易
但事實上只付出一點努力的話是很難做到的
就像是要將寫實劇轉換成歌舞伎劇
在舞台上趴搭趴搭的跑起來
一點也不美也感受不出進攻的感覺
但是如果是以六方的方式表現
反而能感受到忘我奔跑的感覺
在能劇、狂言劇等
如此的表現方式更能增加美感
繪畫也是如果不到這個境界的話就是虛假
而且在此之上還必須要有雅味
因此經常接觸名畫或是名器是非常重要的
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18-5.
絵を以て陶器を作る。もしこれを満たさざれば、
汝は世の軽蔑と貧困に包まれつつ駄工として一生を了わらん。

以卓越的繪圖來製作陶器
如果無法做到這點
那麼你就會被輕視和貧困所包圍
而成為庸工過完一生 

以上內容出自魯山人陶說一書

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魯山人器物學

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