飯台為質素精進的禪林作法
覺書 - vol.121
茶道聖典-南方錄解讀
飯台料理對現代人來說較為陌生
日本到昭和時代為止
在家中是一人一膳或是使用箱膳進食
將箱的上蓋反過來當作膳使用
再放上箱內的食器
在吃飯時也還是一人一膳
並沒有家族圍在一個餐桌一起吃飯
另一方面
也並不是沒有幾個人圍在一個餐桌吃飯的習慣
除了這裡所記載的禪院的飯台
另外就是江戶時代所流行的中華料理「桌袱料理」
「ちゃぶ台」來自中文「桌袱」的發音
哪一個才是座桌的源流
雖然沒辦法簡單說明
但是在明治時代末期
一般家庭中所使用的是「ちゃぶ台」這樣的座桌
在當時是相當新潮的
而「南方錄」所說
現在座桌的源流之一的飯台
在茶道中也使用
雖然在其他的記錄中並未見到
但是因為懷石的作法和禪食堂的作法相似
飯台的茶事也就不奇怪了
幕末時在玄玄齋宗室的茶會中也出現飯台料理
然而做法是一人一膳
但使用飯台的食器
所形成特異的膳茶事
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南方錄原文:
飯台はつくえのごとくして
二人三人四人も台一つにて食する、
これ禅林日用の作法なり。
しかるを紹鴎、宗易、大徳寺、南宗寺の衆を茶の時、
折々飯台を出されしなり。
一疊台目などはあまりにせばきゆへ出し入れ成がたし。
二畳三畳四畳、別して四畳半によし。
茶立口の外に今一つ口ある座席ならでは、
茶立口よりは出し入れ好まざることなり。
亭主先台へかかへ出し、ふきんにて清め、
さて食の椀に、もつその飯を入れ、
蓋をし、下に汁の椀をかさね、
かくの如く客の数次第、
引盆にならべはこび出て台の上に上げ、
汁は汁次にて出す。さいも、
鍋にても、また鉢にても出す。
その品次第の見合なり。
酒は一、二返にてすむべし。
食椀の蓋にしたるものにてのむなり。
客の喰やう別してきれいに喰べし。
惣じて飯台の料理は、こと更かろくすることなり。
汁一つ菜一つ、強て二つ、
茶うけの物なども出さざるもよし。
また一様は、食椀、汁わん、蓋、この三つを、
いめい青染のもめんふぃくさにつつみて出し、
もつそは寺にてのごとく、はちに入て運び出し、
亭主めいめい客へくばる。
客も椀を出してうくる仕やうもあり。
勿論飯台は魚肉料理の時のことにてはなし。
書入;椀のふた一つ二つも、
さいの様子次第出すべし。
原文翻譯:
飯台指的是一個桌子
可以讓二人、三人、四人吃飯
這是在禪宗的日常作法
即使紹鷗或宗易邀請大德寺或南宗寺的僧侶
經常會使用飯台
如果是一疊台目的茶席
因為太過狹小而難以端出飯台
二疊、三疊、四疊,尤其是四疊半比較適合
茶立口之外
如果沒有另一個出入口的茶室就很難使用
都從茶立口進出則不理想
首先亭主先將台移至茶室以布巾擦拭
再來則是在飯椀盛裝物相飯上蓋
將汁椀重疊在飯椀之下
再依客人數以盆運至台上
汁則以汁次端出
菜則是以鍋或缽盛裝端出
會依據菜的種類來使用適合的器皿
酒則是一返至二返就結束
以飯椀的上蓋作為酒盃飲酒
而客人則必須將料理吃乾淨
大至上飯台的料理以簡單為好
汁一種
菜一種最多二種
茶菓子不端出也沒關係
而另一種方式則是
飯椀、汁椀、上蓋
各自以藍染的木綿布包裏
物相飯如同寺一樣以飯缽端出
亭主再依序分配
客人也以飯椀盛裝
當然飯台料理就不會有魚或是肉的料理
書入
椀的上蓋使用一個還是兩個
也是配合菜的狀況使用
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