灰釉輪花鉢 京焼民藝 河井武一
超絕大皿之美 - vol.008
河井寬次郎 (1890-1966) 生於島根県安来市
是日本知名陶藝家更是民藝運動的旗手
擅長於陶藝、雕塑、書法、設計、詩詞、散文
在東京工業學院修讀窯業科後
30歲移居京都五条坂從事陶藝創作
認識思想家柳宗悅及陶藝家濱田庄司
一起推動「民藝運動」思潮
「在工作中發現自我,為了尋找自我而工作」為其名言
河井武一為河井寛次郎之甥
1927年在叔父河井寛次郎指導下作陶修行
継承寛次郎的民芸芸術
長於灰釉、呉須、辰砂、飴釉、鉄釉等技法
開創京燒民藝的風潮
灰釉是由各種木材或稻草灰燼製成釉料
以灰入釉已有超過千年的歷史
表面紋理具有玻璃狀和垂釉特徵
外觀容易呈現出自然的大地綠釉色系
製造灰釉需要將植物材料完全燃燒
灰釉的製作方式是將巨量的木材、草木、稻稈類燒盡
然後將產生的灰收集起來並進行過篩
陶磁藝術家皆有自己的草木灰配方
透過調配不同草木灰的比例
得到最終釉色的紋理與效果
灰釉輪花钵
SIZE:直徑37×高8.2cm
含作家簽名共箱
河井武一
1908-1989
1908年 島根県安来で生まれる
1927年 叔父の河井寛次郎の元で修行する
1949年 国画会の会員となる
1953年 独立し自作に専念する
1959年~個展を開催
1964年 シドニー・メルボルン・ニュージーランド・ウェリントンにて個展を開催
1978年 作陶50展を東京・大阪・京都・岡山・横浜にて開催
河井寛次郎の甥、河井武一を初代とする河井工房は、
民藝が持つぬくもりと実用性を両立した
独自の京焼民窯を作り続けています。
1927年より叔父河井寛次郎の下にて作陶を修行。
寛次郎が没するまで40年近くにわたりその指導を受け、
呉須、辰砂、飴釉、鉄釉など寛次郎の民芸芸術を継承。
1976年、京都・亀岡市に南丹窯(登窯・ガス窯)を築く。
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