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東海道53次 47.亀山
佐野喜版(1840)
「狂歌東海道」-横大判56枚揃物
彫師:堀田治 / 摺師:品川勝夫
浮世繪之美 - vol.3147

亀山宿は地理的制約があって、亀山城下の武家町がまた東海道の宿場の機能も兼ねているという特殊な構造をしています。したがって、街道の大木戸である、宿場東の江戸口と西の京口が城を防御する門の役目を担っており、狂歌入り版・保永堂版ともにこの西側の大木戸を描いています。その左側背後に多聞櫓があり、背景の山影との対比が美しく感じられます。城の本丸は、両木戸の中央辺り、東西に走る東海道の北側にあって、そこから大手門を経て行くことができます。本作品を見れば分かるとおり、一般庶民が門を潜り抜けているので、城の門ではなく、大木戸の出入口であることが確認できます。東の江戸口の方は、街道の両側に家屋が建ち並ぶ情景となっており、本図はやはり京口です。白壁の美しい城で、粉蝶城とも呼ばれていました。

亀山宿は、城の美しさの他に、庶民には「亀山の仇討ち」で有名です。これは、赤堀源五右衛門(水右衛門)に父石井宇右衛門と兄三之丞を殺された石井半蔵・源蔵兄弟が、元禄14年(1701)、亀山城下で仇を討った事件です。それを受けて、人形浄瑠璃・歌舞伎に「亀山の仇討物」と呼ばれる演目が数多く作られ、浮世絵にも受け継がれています(歌川広重『東海道五十三對』「亀山」、三代豊国・広重『雙筆五十三次』「亀山」参照)。それ故、亀山を描く保永堂版が副題「雪晴」の景色を写しているのも、仇討ち成就の目出度さを雪晴に仮託しているからだと思われます。『仮名手本忠臣蔵』においても、主君の仇討ちに成功した義士達は雪晴の中を帰路に就きます。とは言え、狂歌入り版の絵には松並木の坂を上る旅人の様子はあるものの、特段吉祥の地であるという雰囲気はありません。となると、狂歌がどうなっているかが気になるところです。

 「松に羽をのす靍」という言葉において、松で羽を伸ばす鶴を詠むのですから、松に鶴という縁起の良い組み合わせが発見できます。もちろん、第一義は松に囲まれた亀山城を松の上の鶴に例えているのでしょうが、その根底には、そもそも亀山が仇討ち成就の吉祥地であるという感情があるように思われます。発句の「さえぎりて」の意味に関しては、長閑に見える亀山の松で羽を伸ばす鶴が、静寂を遮って一声鳴くと読み解きたいところです。

さえぎりて 長閑に見ゆる 亀山の
松に羽をのす 靍の一こゑ
三巴亭静山

歌川廣重(Utagawa Hiroshige,1797-1858)
《東海道五十三次》爲浮世繪大師歌川廣重成名作
描繪由江戶至京都的53個宿場
包含起點的江戶日本橋和終點京都内裏共56景

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浮世繪之美

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