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東海道53次 18.興津
佐野喜版(1840)
「狂歌東海道」-横大判56枚揃物
彫師:堀田治 / 摺師:品川勝夫
浮世繪之美 - vol.3118

副題に「興津川」とあるので、薩埵峠を越えて、宿場の手前(東側)にある興津川であることは間違いないのですが、どちら方向から描いているのかが問題です。嶋田・前掲『広重のカメラ眼』(p126)は、作品の左側中景の谷筋に見えている家々の屋根を奥津の宿場と理解しています。しかしながら、狂歌入り版とほぼ同一構図の『五十三次名所圖會十八』(安政2年7月・1855)が「興津 おきつ川さつたの麓」と記しているので、作品正面の岩肌を見せる2つの小山は薩埵峠に繋がる地形と推測されます。つまり、画中手前から川を渡る旅人達は川の西岸から東岸に向かう一行であり、前掲『東海木曾兩道中懐寶圖鑑』「奥津」を参照すると、その家々の屋根は「ほら村」の集落と考えられます。保永堂版も同じ構図ですが、視点は川の上流から河口方向の浜辺を遠望しているのだと思われます。

興津川は歩行渡りの川であり、広重は、人足が旅人を肩車によって運ぶ様子に焦点を当てて描いています。肩車された旅人達が足を前にまっすぐ伸ばしている姿が不思議です。狂歌入り版は、薩埵峠からの風光には触れず上記の情景を描いているのですが、これはもちろん狂歌を意識したものであることに注意が必要です。

「風ふけば」で始まる狂歌は、『伊勢物語』や『古今和歌集』などに収録されている和歌「風吹けば沖つ白波たつた山 夜半にや君がひとり越ゆらむ」からの本歌取りです。つまり、「風ふけば」を「興津(おきつ)」で受けることになります。そこに「花にこゝろを興(おく)」を重ねて掛けています。さらに、「興津川」は歩行渡りの川なので、本来は深い川ではなく、「あさき瀬に」となる訳ですが、最後の句は「袖はぬれけり」という意外な落ちとなります。その意味は、「瀬」が「逢瀬」に掛かっていると読み解いて初めて理解できます。すなわち、深い逢瀬が適わなかったので、悲しく涙にくれて袖を濡らしているというのです。峠越えや川渡りは、恋の難儀や逢瀬の困難によく例えられますが、本狂歌は、薩埵峠越えを控える「興津川」の歩行渡りをその材料としてうまく使ったということができます。狂歌がもし歩行渡りより薩埵峠越えに比重を置くならば、広重の絵も峠の風景を描くものであったかもしれません。

風ふけば 花にこゝろを 興津川
あさき瀬にだに 袖はぬれけり
年垣真春

歌川廣重(Utagawa Hiroshige,1797-1858)
《東海道五十三次》爲浮世繪大師歌川廣重成名作
描繪由江戶至京都的53個宿場
包含起點的江戶日本橋和終點京都内裏共56景

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浮世繪之美

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