東海道53次 11.箱根
佐野喜版(1840)
「狂歌東海道」-横大判56枚揃物
彫師:堀田治 / 摺師:品川勝夫
浮世繪之美 - vol.3111
保永堂版は箱根の東側の坂を登り切り、伊豆と相模の国境から芦の湖に向かって下る権現坂を描いていますが、狂歌入り版は登り切る手前の石畳の崖道です。おそらく、畑の立場を過ぎた辺りの一番きつい場所でしょうか。向かいの山の谷筋に川の流れが見えています(前掲『東海木曾兩道中懐寶圖鑑』にいくつかの川筋が記載されています)。嶋田・前掲『広重のカメラ眼』(p85)は「間違いなく芦ノ湖」と特定していますが、すやり霞なしに手前のここに持ってくる理由は何もありません。2つの松明に照らされ、2組の山駕籠が夜道を進んでいます。一見すると、かなり異例な情景と思われます。保永堂版では大名行列でしたが、広重の他のシリーズのほとんどは、実は山駕籠で峠を越える構図となっています。
画中の山駕籠は、辻駕籠と言われる「四つ手駕籠」に比べて粗末な作りで、竹の網駕籠に座布団を敷いた程度のもので、宿駕籠とも言われます。この宿駕籠は、街道筋の宿駅の日雇い人足である「雲助」が舁くこともあって、「雲駕籠」と呼ばれることもあります。あまり良い意味では使われず、故に、狂歌に「ことわざに雲ともいへる人なれや」と詠まれることになります。なお、雲(助)の原意は、浮雲の行方定めぬところからとも、また、客を取ろうと蜘蛛のように網を張っているところからとも解されています。狂歌は雲の意味が分かれば簡単です。箱根の駕籠舁きは雲とも呼ばれる人であるだけに、雲のかかる、かかる(このような)山路を夜でさえ越えていくということで、「雲」と「かゝる」の掛詞で遊んでいます。この狂歌に対して、広重の絵は、夜にもかかわらず、松明を持った雲(駕籠)が急な坂を越えていく様子を素直に描くというものです。
ところで、狂歌に歌われ、絵に描かれた、松明を照らしての夜の峠越えが本当にあったのかどうかということですが、箱根の各立場には松明が売られていたことからも事実と考えられます。箱根の関所は、「明け六ツ」(午前6時)から「暮れ六ツ」(午後6時)が開門時間であったため、早朝一番に間に合うように夜中でも駕籠に乗って急いだことはあったでしょう。関所を越えても、まだ箱根の西側の長い坂があるのですから。
ことわざに 雲ともいへる 人なれや
かゝる山路を 夜るも越ゆく
冨黄園満春
歌川廣重(Utagawa Hiroshige,1797-1858)
《東海道五十三次》爲浮世繪大師歌川廣重成名作
描繪由江戶至京都的53個宿場
包含起點的江戶日本橋和終點京都内裏共56景
∣ ← Back ∣ vol.3111 ∣Next →∣
浮世繪之美 |