青井戶茶碗 -京燒 如拙庵 須田祥豐
茶碗歲時之美 - vol.315
春 驚蟄 第九候 菜虫化蝶 三月十五日
「一井戶、二樂、三唐津」是茶人的美學標準
井戶茶碗被認為是茶碗中的王者
渾然天成無作為的形姿和景色
成為實現佗茶風的絕佳存在
在日本茶道的草創期井戶茶碗逐漸受到重視
自茶祖村田珠光、集大成的利休等人
形成擁有茶佗美意識的茶人思想
來自朝鮮的高麗茶碗取代唐物成為主流
井戶茶碗在朝鮮原本是作為日用雜器
但在追求茶佗的茶人眼中
看到渾然天成且落落大方的美
從此取代唐物茶碗的地位
成為上流社會的茶人必備收藏品
井戶茶碗具有明顯的器物特徵
高聳的碗形、清晰可見的轆轤目、
有細微貫入的枇杷釉色、竹節狀的高台、深碗
以及集中在高台周圍釉藥
聚集形成結露般的梅花皮
青井戶茶碗
SIZE:直徑14㎝X高7㎝
Weight : 258g
含作家簽名共箱
京燒 如拙庵 須田祥豐
1885年 京都府で生まれる
1925年 淡々斎宗匠より祥豊の号を
円山伝衣師より、如拙庵の号を与かる
1928年 陶友会の講師として、東京に出張する
1974年 逝去
京都府出身の陶芸家です。
国焼、朝鮮など様々な写しを得意としている作家で
その広い作域は現在の作家の中ではなかなか見られる事がないため
幻の名工と呼ばれています
その端正な作風は評価が高く
茶陶に精通していた事から
重すぎず、軽すぎずの使いやすさを重視した作品は
多くの茶人たちに愛されてきました。
須田祥豊は家業である製陶業に従事し
明治時代末期には祥雲と称し
茶陶制作を始めるようになります
後に五条坂に窯を築くと
国焼、朝鮮の写しを中心に作陶を行うようになります
裏千家14世淡々斎宗室より「祥豊」の号を
授与されてからは「祥豊」と名乗るようになりました。
そのため、淡々斎宗匠の書付のある作品も
よく見かける事ができます
また、西本願寺大谷尊由師より「示巧軒」の号を
前大徳寺管長円山伝衣師にも師事しており
「如拙庵」の号を受けています
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