上野燒花入 十時窯 十一代 白川甫硯
日日民藝之美 - vol.048
「上野燒」誕生於四百年前
位於北九州福岡縣的丘陵地帶
是茶陶也是民藝陶器的知名產地
初代是稱作尊楷的朝鮮半島慶尚南道陶工
日本名則取為上野喜藏高國
十六世紀末豐臣秀吉出兵朝鮮
撤退的諸大名軍團帶回多位陶工至九州
尊楷就是其中一位
由豐前小倉藩主細川忠興招來
於福智町上野築窯
從初代所築的釜之口窯的古窯跡中
出土施綠釉的茶碗、
掛白濁釉和鐵釉的德利等作品
尊楷有四位孩子
在藩主細川家移至熊本城時
尊楷帶著長男和次男移至熊本八代市
創始八代燒(高田燒)
三男則以故鄉朝鮮的十時鄉名為十時氏
而四女的夫婿則命名為渡氏
兩家共同將上野燒的傳統傳承至今
上野燒花入
SIZE:直徑10.6㎝X高21.3㎝
口徑:2.5cm\
十時窯 十一代 白川甫硯
上野焼十時窯は明治三十年頃まで断続したが
一時中絶
十時窯十代甫元は
十時窯復興に志し先に渡窯復興に寄与した 陶工
白川硯山(常三郎)を作陶者とし
昭和十五年二月この地に 十時窯を復興した
十代は、白川硯山作第十代十時甫元とし
昭和33年5月白川硯山改め
甫硯とし十時窯十一代を襲名
昭和54年12月白川卓甫(信彦)が第十二代を襲名
現在にいたる
窯印とし圃を使用
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