萩焼縁魚文花入 萩焼 大和保男
日日器物鑑賞 - vol.181
萩燒是日本代表茶陶之一
自古即有「一樂、二萩、三唐津」的說法
萩燒的起源來自於日本戰國名將”毛利輝元”
屬地由原本的廣島移封至山口縣的”萩”
朝鮮歸化的陶工於萩城下的松本村築窯
建構當時最先進的朝鮮式登窯進行燒陶
並成為萩藩御用窯製作茶陶
從此開始了萩燒的輝煌歲月
茶人所喜愛的萩燒
是以防府所開採的大道土所製作的陶器
以稻草灰燼所混合而成的白濁釉具有獨特的雅味
柔軟的手感與閑淡的風情
滿足了茶人對於”侘”的標準
白萩使用藁灰釉
色調上是呈現不透明的白濁質感
特別是斑唐津在胎土中因為含有鐵分
燒成後會反應成青色斑點
這也是受到朝鮮半島的陶技所影響
無地志野是在黃土上施以白色長石釉
而有著透明感
也有長石釉獨特的厚潤感
萩焼縁魚文花入
SIZE:直徑28.2cmX高29.8㎝
口徑 8.2 cm
重量 4383g
萩焼 大和保男
やまとやすお
山口萩焼は、萩松本・松緑窯の大和作太郎が
1892年(明治25)に山口に進出し、
山口宮野に造られた松緑窯に始まる。
作太郎は、主な原料土の大道土に地元の土を
数種類混ぜ合わす事により、
「ホタル」とか「ホシ」と呼ばれる、
まだら状の紅色の発色を新たに創り出した。
大和保男は、作太郎の孫にあたる。
父は大和春信(春信松緑窯)で、
父から萩焼の指導を受け中学生時代には、
一人前の職人に成長していた。
茶席用の陶器の製作では、鬼萩土を使い塩釉を
応用した「炎箔」の技法の開発が評価を受けている。
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